装填その他に伴う初期銃の弱点を補う為に障壁・城壁・障害物あるいは特殊な地形等によって防御された場所から、機動してくる野戦軍を射撃しようという試みは早くから行われている。
最も著名な例は1503年第一次イタリア戦役中、スペイン軍人ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバが行った戦法で、急造の堀とその残土を利用した土手に拠った二千名と推定されるアルケブス銃兵を指揮して、押し寄せたフランス重騎兵団を粉砕し、スペインの覇権確立の重要な要因となった戦いがある。続いて第二次イタリア戦役においても、1522年同じくスペイン軍の傭兵隊長コロンナがミラノ郊外ビコッカにおいて、地形と急造塁壁を利用したアルケブスの反復射撃戦法で、押し寄せたスイス槍兵集団を粉砕している。ちなみに種子島に火縄銃が伝来したとされるのはこの20年後の事である。最も古い例としてドイツで発生したフス戦争(1419 - 1436年)において、フス派信徒が円陣配置した荷車を防壁にしてハンドガンで射撃するという戦法を採ったとされている。
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何れの戦いにおいても交替に射撃したとは言われているが、号令方式などによる統制交替射撃が行われたとする根拠はない。これら一連の戦いに共通する要素は
比較的格闘戦能力に劣る部隊もしくは少数部隊が、
自然もしくは人工の障害と飛び道具を利用して防戦態勢をとり、
押し寄せる強力な伝統的野戦軍を破った。
がある。
この原型は中世から近世初期にかけての軍事知識として、英仏百年戦争におけるクレシーの戦い(1346年)が著名である。この戦いは火砲の使用が初めて記録された戦いとしても有名であり、また馬防柵を急造設置したらしい痕跡が現在発掘調査で明らかになりつつあると言われているが、火砲は使用されたとしても極少数であり、使用の事実及び効果に付いてはまだ今後の研究を待つ所が大きい。しかしながら、この戦いは丘陵地形を利用した弓兵集団の集中射撃によって、これまで無敵とされた重武装騎士の集団突撃を阻止粉砕するという戦果を残した。さらに同戦争末期、アジャンクールの戦い(1415年)において、全く同様な事が繰り返された。この時には火砲の使用に記録はないが、馬防用の先端のとがった杭の携行については、英国王ヘンリー5世の命令が記録されている。これも弓兵集団と騎士団の戦闘で騎士団が全滅した戦いの例である。
これらの知識が新しく登場した特長と弱点を併せ持つ鉄砲の運用に応用された成功したのは、まず間違いはないであろう。日本において、信長周辺にこれらヨーロッパ軍事知識がどのように伝わっており、長篠の戦闘などに応用されたという可能性は興味深く、今後の研究が待たれる。